夜目が利くのか。
月光を木の梢に遮られて足元を見ることすらおぼつかない暗い森の中を、男は早い足取りで歩いていく。
少し遅れれば闇に消えてしまう黒衣の後姿をニレアは必死で追った。
どれくらい歩いただろう?
木々が切れ、目の前に景色が広がる。
森を抜けたそこは高台で、緩やかな下り道の先には、闇の中点々と灯りをともす町並み。
その向こうには、月を映し、銀の光を湛える闇が果てしなく広がる。
潮の香りのする風が吹き抜けた。
嗅いだことのない、匂い。
ニレアが住む街は、沿岸から山の間をぬうように入った、内陸への入り口だ。街から出たことの無いニレアは海を見たことは無い。
見たことのない景色に思わず立ち止まる。
ここは、どこ……なの?
混乱するニレアを気にも留めず、男はどんどんと坂を下りていく。
見えなくなりそうな男の背に、慌ててその後を追った。
月は天頂をやや通り過ぎた辺りで輝いている。
深夜。
こんな時間まで明かりがついているのは酒場か娼館か宿屋くらいだ。
男は振り向きもせずに一軒の酒場に入ると、奥の椅子にどっかと腰を下ろした。
後についてきたニレアも、おずおずと進み、男の座るテーブルの前に立つとためらいがちに腰を下ろす。
初めて入る酒場。
立ち込める、煙と、酒と、料理と、化粧粉の匂い。
「こんな小娘相手にしないでさ、あたしと遊ばないかい」
擦り寄ってきた厚化粧の女を視線一つで追い払うと、目深に被ったフードの下から、男はニレアに目を向けた。
暗い瞳に、射すくめられたように身体が強張る。
スッと上がり、無造作にテーブルの上で組まれた大きな手。その指に光る銀の指輪。
男が口を開いた。
「……この指輪、どこで手に入れた」
「どこで、って……」
最初から「お母さんの形見」だと言っているのに。
あまりに見当はずれな問いに思考が停止して、言葉が出てこない。
言葉を探して口をパクパクさせていると、男の瞳がスウッと細められた。
「答えられないか」
「だから……っ」
やっとの事で言葉を探し当てる。
「それは、お母さんの形見っ……!」
「……で?」
感情のこもらない声。全く相手にされていないのを感じて、かあっと悔しさに顔が火照る。
「う……嘘じゃないもん!」
返してよ! と、伸ばした手は、あっさりと払われた。
「それは、お母さんが死ぬときに私にくれた指輪だもん!」
「嘘だ」
「何で嘘だってわかるのっ……!」
「判るさ」
男の目は冷ややかなままだ。
「指輪の持ち主が生きているのを知っているからな」
え……っ?
男の言葉にニレアの動きが止まる。
持ち主が生きてる……、って?
「だ……だって、お母さんは10年前に死んで……っ」
混乱してニレアの声が震える。
「何でっ……、生きてるはずないっ……」
その様子を見ていた男が、ふと口を開いた。
「……お前の、名は」
男の声にハッと我に帰り、ためらった後、ニレアは恐る恐る、小さな声で呟いた。
「……ニレア。
ニレア・ルディーン、……ディ、アルクレア」
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