2章 ― 1、黒衣

 
 それは、満月が落ちてきたようだった。
 月の光だけがほの明るく照らす、森の中の小さな空き地。その中心、地面から大人の背丈ほど上がった空中に、鬼火のように小さな光が揺らめき、集った。 次の瞬間。
 ちかちかと揺らめく光の中心から強い光が爆発し、全てを白に塗りつぶした。
 光と共に放たれた衝撃波が木々を揺らす。木々が唸りを上げ、木の葉が舞い散る。
 それが収まった後、そこに、呆然と座り込むニレアの姿があった。

 何……が、起こったの……?
 スフィラが殺されると思った瞬間、思わず叫んだ私の首元で、光が……爆発した。
 ぼんやりとした頭でニレアは辺りを見渡す。ほの明るい月光に浮かび上がる、夜の森。
 誰もいない。
 「……スフィラ?」
 小さな声で恐る恐る呼んでみる。
 ざわ、と木の葉が鳴った。
 自分を捕まえていた男達も、スフィラも、いない。
 微かな灯りが窓からもれる、見なれた小さな小屋もない。
 「……寝ぼけてるのかな、私……」
 夢……、見てるのかな。
 あんまりにも色んな事がありすぎて。
 お父さんが死んだのも、義兄さんが怪我を負ったのも、自分が追われているのも。全部、夢にしてしまえれば。
 いつもと同じ。変わらない、平和で幸せな日常。
 立ち上がって少し歩く。誰もいない、見慣れない、森の小さな空き地。
 ……そっか、夢を見てるんだ。
 目が覚めれば自分の部屋で、誕生日の私はワクワクして目が覚めて、それで……。
 「……?」
 少し離れた茂みの奥で何かが動いたような気がして目を凝らした、次の瞬間。
 闇が広がった。
 微かに鳴った衣擦れの音。月光にひるがえり、目の前を覆ったのは、闇と同じ深い黒の布。
 手首を捻りあげられ、あっという間に身動きが取れなくなる。
 「……っ!?」
 見開いた目が映すのは、覆いかぶさるように体を捕らえている、見上げるように大きな、黒の布。
 と、唐突に戒めを解かれて突き飛ばされた。
 「きゃ……っ!」
 「……”力”もない。ただの人間か」
 どさっと草の上に倒れこむ。
 上体を起こして振り返ったその先は、背の高い黒い影。布で包まれたその奥は何も見えない。
 「何を使った。何の目的でここに来た?」
 「わ……かんない……」 
 理由の判らない威圧感に震えながら、落ちてくる低い冷たい声にただ首を振る。
 何なのこの人、何を言ってるの!?
 首を振る動きに引かれて鎖に通した指輪が飛び出す。月光を受けて銀色の光が走る。
 と、伸びてきた手が指輪を掴んだ。
 それは一瞬の出来事。
 「った……っ!」
 ブツッと何かが切れる音がした。
 首に走る一瞬の痛み。煌きながら落ちていく、ちぎれた銀鎖。身をかがめた黒い影が体を起こす。
 広げた手のひらには銀の指輪。
 とっさに取り返そうと飛びついて、あっさりと手首を捉えられた。
 「返してっ!」
 バタバタと暴れても掴まれた手首はがっちりと離れない。
 「返してよっ! 返してーっ!!」
 お母さんの指輪っ!!
 しばらく指輪を眺めると、手首をつかんだまま、影は手のひらから指輪をつまみ上げ、無造作に中指に通した。
 するりと通り、指輪はしっくりと影の指に収まった。まるで本当の持ち主の手のように。
 指輪にはまった大きな石が月光を受けて透明な揺らめく炎を上げる。
 ニレアの手首を離すと、何事も無かったように影は身を翻した。
 「! 待ってっ!!」
 歩き出した影に手を伸ばし、必死で掴もうとする。 手は、その身を覆った布を掴んだ。
 強く引かれて頭を覆っていた布が外れる。
 浪打ち、流れ落ちる銀の光――――。
 月光に浮かび上がる、青く輝く銀の髪に縁取られた冷たい男の顔。
 息を飲みながら必死に言葉を紡ぐ。
 「返してっ! お母さんの形見なの! 大事な指輪なのっ……!!」
 男の目がわずかに見開いた。
 ゆっくりと細めた目がニレアを見つめる。
 ふと顔を逸らすと、冷たい声で男は口を開いた。
 「付いて来い」  

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