1章<逃亡> ― 6、追っ手

 
 異変が起きたのは、夕食を食べ終わって、三人でゆっくりくつろいでいる時だった。
 ドンドンドン!
 丸木作りの扉を荒々しく叩く音が家の中に響いた。
 「!?」
 人がまず来ることの無い深い森の中のスフィラの家。その小屋を夜遅く尋ねてくるなんて、普通の人間はしない。 尋ねてくるものがあるとすれば、それは、普通じゃない事情を持つ人間。
 「ニレア」
 低く小さな声でスフィラがニレアを招いた。
 「早く、ここに入って」
 開くことなどないような外見の寝台の側面が開いて、詰めこまれた薬草の隣にニレアならなんとか入れそうな隙間が開いている。
 何があっても黙っているように、と言われて、小さくニレアは頷き、隙間に滑り込んだ。すぐに板が嵌めこまれ、何事もなかったように装われた。
 ドンドンドン!
 苛立ったように、再度扉が強く叩かれる。
 「今開ける!」
 ギルニーを上半身裸にすると、巻いていた包帯を少し解いて、スフィラは扉を細く開けた。
 「夜分に誰だ、この家に何の用事だ」
 「人を探している」
 扉の外には長いマントにすっぽりと身を覆った男が2人立っていた。
 「薬師のスフィラか?」
 「……そうだ。私がスフィラだ。……っ!?」
 扉の細い隙間にぐいと足先を突っ込み、男は強引に扉をこじ開けようとする。
 「何をする!」
 「男と娘が来ているだろう、中を見せてもらうぞ」
 「男はいるが娘はいない!」
 問答無用で扉をこじ開けられ扉と一緒に引っ張られたスフィラは、中に入ろうとする男達に突き飛ばされ、床に転がった。
 小さなくても住み心地の良さそうな小屋の中には、あちこちに吊るされた薬草の束ときちんと積み上げられた薪。机の上には調合済みの薬袋、そして、寝台の上には包帯を巻きかけたギルニーの姿。
 「ギルニー・ルディーンか?」
 「……だったら、何だ」
 寝台の上で男を睨み付けるギルニーの姿にフン、と笑い、
 「お前を連れて帰るように頼まれたのさ。娘と一緒にな。手の掛かる子供たちだぜ」
 「娘がいないぞ!」
 小屋の中を捜していたもう一人の男が怒鳴り声を上げた。
 「どこに隠しやがった、この野郎!」
 「だから、娘はいないって言っただろう!」
 突き飛ばされた時に少し打ったらしく、頭を右手で抑えながらスフィラがゆっくりと立ちあがる。
 「娘はここにはいない。今頃はもう、西の街だろう」
 「……どういうことだ?」
 男の問いにスフィラは怒りを含んだ声で答える。
 「西の街だ。ルディーン家の親戚がいる。そこを頼ると言って出ていった。これでいいか!? さあ出て行け! こいつは重傷で今動かせば死ぬぞ!!」
 「……俺は、動けるようになったら自分で帰る。お前達の世話にはならない」
 小さな小屋は他に探す所もなく、やり手の薬師は乱暴を受けて怒り、連れて帰るはずの人間は寝台から動かせない。男達は消化不良を起こしたような顔をして扉に向かった。
 「お前達と、お前達に関わる者に何があっても俺は治療なんかしないからな。覚えておけ!」
 謝罪の言葉も聞かずにとっとと男達を追い出すと叩きつけるように扉を閉めて閂(かんぬき)をかける。そのままため息をついてどっかと丸木の椅子に座り込んだ。
 「……えっらい怒ってるな、スフィラ」
 少しだけ驚いたようなギルニーの声に、
 「当たり前だ、あんな無作法な奴。俺は頭を打ったんだぞ……」
 今にも噛みつきかねない雰囲気で呟くと寝台の外板に手をかけた。
 「ニレア、もう出てきてもいいよ」
 「う、うん……」
 目を見開き、少し怯えた様子で恐る恐る出てきたニレアは、小屋の中に自分たち以外の人間がいない事を確認するとぺたんと床に座り込んでしまった。
 「どうした? 怖かった?」
 心配そうに覗きこんだスフィラに、
 「ううん、……スフィラ、頭、打ったところ大丈夫?」
 思いがけないニレアの言葉に目がまん丸になり、次の瞬間、何ともいえない優しい笑みがスフィラの顔に広がった。
 「大丈夫だよ。ニレアこそ怖くなかったかい?」
 「うん、私は大丈夫。ちょっとびっくりしたけど……」
 「そうか」
 床に座り込んでいたニレアを起きあがらせると、自分が座っていた丸木の椅子に座らせた。
 「ちょっと待ってて、お茶を入れてこよう。今日はもう遅いからお茶を飲んだらお休み」
 「でも、スフィラ……」
 話したいことがありそうなニレアの言葉を、しいーっと動作で黙らせる。
 「話は、また、明日。時間はたっぷりあるんだから」
 

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