1章<逃亡> ― 1、夕立

 森の中へ遠乗りが、幼い頃からニレアは大好きだった。 
 ぽつっ……。
 「あ……」
 さっきまで晴れてたのに。
 「ニレア、どうした?」
 「ん〜、何か、雨が当たったような気がして」
 隣に馬を並べて義兄のギルニーも空を見上げる。
 「空が暗いなぁ……。そろそろ戻るか。親父たちも待ってるだろうし」
 「ん」
 短く頷くと馬の首を森の外へと向け、横腹を蹴って走り始めながらニレアは叫んだ。
 「遅くなったほうが馬具の片付けだからね――っ!」
 「セコいぞ、それ――っ!」
 笑いの混じった義兄のわめき声。2人で笑い声を響かせながら森を駆け抜ける。
 すぐに激しさを増した雨。笑い声は、強い雨が葉を叩く音にかき消されて聞こえなくなった。

光のかけら―――Present by S.Izumi
 

 夏の夕立は激しい。
 あっという間に空が真っ暗になり、激しい雨を降らせる。
 大急ぎで帰ってもすっかりずぶ濡れになってしまった。
 「とりあえず……」
 玄関に手綱を結わえながら、
 「体、拭かないか? 馬はじいやに任せてさ。このままじゃあ俺たちが風邪引きそうだ」 
 「そうだね〜」
 重い扉を引き開けようとすると、中からそっと扉が開いた。
 「お帰りなさいませ、ニレア様」
 「ん、ただいまっ」
 扉の中で初老の男性が柔らかく微笑む。
 ずっと昔からルディーン家に仕える執事で、ニレアにとっては大好きなお爺さんのような存在だ。
 「ずいぶんと濡れてしまいましたね。早く体をお拭きなさい」
 タオルを受け取って髪をごしごし拭きながら、
 「お父さんは?」
 貿易商をしているニレアの父は日中は家にいない事が多い。
 「もちろんお戻りですよ。今日はニレア様の16歳の誕生日ですから。大きな荷物を持って帰られましたよ。
 ……おっと、これは内緒でしたな」
 「内緒、ね、じいや」
 顔を見合わせて、ふふふ、と笑う。
 「俺にもタオル貰えないか〜」
 「お帰りなさいませ、ギルニー様」
 ずぶぬれで入ってきたギルニーにタオルを渡しながら、
 「そういえば、今、ドラサム様が奥様の所にお見えになっていますよ」
 「叔父が?」
 ギルニーの顔が少し曇った。
 ニレアの母が10年前に亡くなって以来一人だったニレアの父は、一年前に再婚した。相手は美しい歌姫と名高い女性で、18歳になる息子ギルニーを連れての結婚。ドラサムはその義母の妹の旦那で、ギルニーには叔父にあたる。
 ルディーン家に嫁いだ母を頻繁に尋ねてくるこの叔父をギルニーはあまり好きではないらしい。
 「まあ、一応……後で顔を出すよ」
 あまり気乗りのしない声で呟くと、「着替えたらお茶を飲もうぜ」と言い残して1人部屋へと上がっていった。
 「……義兄さんは叔父さんのこと、好きじゃないのかな」
 「ドラサム様は……。そうですね、あまり良い噂を聞かない方ですから」
 めったに人の事を悪く言わない彼にしては珍しい一言だ。
 「そうなの?」
 首を傾げたニレアに執事は黙って微笑む。この話はそれで終わりらしい。
 「さぁ、ニレア様も着替えていらっしゃい。お茶の準備をしておきますから」
 「はぁーいっ」
 部屋に向かうニレアに執事が一言。
 「服は部屋に入ってからお脱ぎくださいね」
 「ばれたか〜」
 へへへ、と振りかえって笑うニレアの上着の前ボタンは、既に半分まで外れていた。

 

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